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No.3915
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23東又泉(アガリマタイジュン)
この泉は、島内随一の湧き水で昔から村人の飲料水は勿論のこと生活用水として重宝がられて来た。
因みにその名水の知名度は、薩摩藩当時の亀津代官所の代官にまで知れわたり、その部下のものを遣わしてこの水を取り寄せて飲食し、その美味のとりこなったとの言い伝えがあり、この事から別名代官水とも呼ばれている。
現在でも島内各地からこの名水を求めて訪ねる人々が絶えることがないのも、その名水の証しである。

場所:天城町当部
○【交】空港から車で約25分 港から約30分
22戸森の線刻画
秋利神川北岸の山中、戸森に東と西に約20m隔てて三畳敷ほどの白いキャンパスを広げたような2個の巨岩横たわっています。鉄利器によって数多くの船、矢が掘り込まれています。
線刻画の刻画の時期は、グスク時代ではないかと推測」されている。

場所:秋利神旧道(砕石場の近く)を伊仙に向かって左    に入る。
○【交】空港から車で約25分 港から約50分
�Rさとうきびの碑
奄美群島におけるサトウキビの歴史は慶長の頃(1600年初期)直川智翁が中国からひそかに導入し、大島本島大和村で栽培普及して以来今日まで、群民の生命産業として発展してきた。特に大東亜戦争前後の生活窮乏期には真の島民の食料源として、また砂糖産地を失った我が国の唯一の甘味資源供給地として、大きく貢献してきた。
奄美群島が祖国復帰25周年を迎えるこの年史上初の生産量12万余トン反収8トンを達成したことを記念して建立された。

場所:天城町中央公民館
◎【交】空港から車で約5分
21高千穂神社
明治二年、島詰官氏によって大隈国霧島神社から分社され、徳之島三間切にそれぞれ建立、天城では阿布木名村(現在の楠南二高校) 近くに建てられ、村民の氏神として二月九日、九月九日は全村民がお参りをした。
その後平土野原 (旧役場駐車場) に、さらに同地に町役場が開設されたため現在地に移転した。

場所:天城町平土野 (犬の門蓋に行く途中)
◎【交】空港から車で約10分 

�Q西郷南洲翁上陸地
文久2年(1862年)この湾屋港(藩指定の砂糖積み出し港)に二度目の遠島処分を受け上陸追処分で沖永良部に行くまでの二ヵ月半、岡前に滞在した。
島愛カナや子供との別れの悲話や島民との心暖まる交流などの逸話、翁直筆の書・手紙、力石が残るほか謫居地後には記念碑が立てられている。

場所:空港の近く
◎【交】空港から車で約5分
�P塩田発祥の地
明治11年天城町浅間出身、碇本宮多恵氏は土佐の国に塩の製法を学び、この地に初めての塩田を開き製塩に従事し、またその技法を同志、後輩に伝え以来本島唯一の製塩地として発展、昭和34年までの84年の歴史の基を築いた。

場所:天城町浅間  (徳之島空港内)
◎【交】空港から徒歩2分
�O高倉
五穀などを貯える木造建築である。丸木四本(六本〜八本)の柱で屋根を支えるだけで釘を用いず契を打ち込んで組み立ててある。柱は樫木を用い仕上げが滑々しているのでネズミも上がることが出来ない。梯をはずしておけば盗難の心配もなく、又湿気、虫つき腐敗防止も出来る。台風時ゆれるが倒れることはない。
火災時は下の貫木(ヤチ)を取り去り網をかけ引き回せば、たやすく倒れる。

場所:天城町中央公民館及び総合グランド入り口
◎【交】空港から車で約5分
�N特攻平和記念碑
旧陸軍飛行場の跡で、太平洋戦争における本土防衛最後の砦として、沖縄決戦に出征する特別攻撃隊の中継基地となり、大空に散った若き勇士の英霊を祀った碑です。

場所:天城町浅間 (徳之島空港近く)
◎【交】空港から車で約5分
�M西郷南洲居之跡
世界的偉人、西郷南洲は藩主島津久光公により遠島の身となり、足軽二名に警護されて、現在の浅間湾屋に上陸したのは文久二年(1862)六月十日
で、ちょうど36歳の時でした。

翁はこの日、同地の農家湾直道(現山口直為氏祖父)宅に入り一週間止宿、その後岡前の松田勝伝方に移り、ここで六十九日間を過ごした。即ちこの地が翁の岡前での生活の跡地である。
碑の傍にある卵形の三個の石は、村の青年達との交流のさい力くらべに愛用された「力石」です。
大きい石110斤(66kg)
中90斤(54�s) 小80斤(48�s)

場所:天城町岡前 (西郷南洲公園入り口近く)
◎【交】空港から車で約10分 港から約45分
�L古玄泉
この泉は600年以前から徳之島の泉として北に位置し日本本土と中国大陸への海路の途中にあって水の供給地として重要な役割を果たしてきました。
特に航海安全の守り神として代々受け継がれて来た神の泉であります。
この泉は広く島民の命の源としてあらゆる事を願いし島民の信仰」を厚くして来ました。
天城岳の麓に位置する古い泉の源として古玄泉と称します。

場所:天城町松原 (松原駐在所を山手に)

○【交】空港から車で約15分 港から約45分
�K松原銅山跡
松原銅山は明治37年(1904)頃亀津の徳三和豊翁
によって発見されました。翁は柔道で有名な徳三法の父。
鉱山開発で松原の集落は、全島の人たちが往来するようになり、第一次大戦で軍需景気にわき大変な振るいだったという。
第三鉱洞まであり、現在は展望台や駐車場が完備され、公園化された静かな地である。

場所:天城町松原 (特老天寿園の近く)
◎【交】空港から車で約15分 港から約45分
�Jユイの館
天城町歴史文化産業科学センター
徳之島の大自然、歴史、民族などが学べる施設
パネルや映像を使ってわかりやすく解説され、二階の天城町くらしコーナーでは民具などの展示もされています。
屋上には徳之島の四季折々の星座が観測できる天体望遠鏡がある。

開館時間 9:00〜17:00
休 館 日  月曜日、月曜日が祝日の時は翌日
       年末年始
入 場 料  一般200円、高校大学生100円
      小中50円
場所:天城町平土野
◎【交】空港から車で約5分 亀徳港から約30分


天城町
徳之島歴史探訪