年 月 日          沿             革
昭和28年12月

昭和29年 6月
昭和33年 4月

昭和36年 1月
昭和37年 1月
12月25日奄美群島は日本に返還され、再び鹿児島県大島支庁が設置された。
奄美群島復興特別措置法制定
町村合併促進法により亀津町と東天城村が合併し、徳之島町となる。

天城村は町制を施行し、天城町となる
伊仙村は町制を施行し、伊仙町となる
(4)本土復帰から現在まで

   昭和28年12月25日、連合軍連合軍最高司令部の覚書により奄美群島が本土に復帰し、日本国が奄美群島住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権力を行使するための完全な機能及び責任を引き受けて以来、現在に至るまでの間の沿革は次のとうりである。
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 年 月 日          沿              革
昭和21年 1月
昭和21年 2月


昭和21年 3月


昭和21年 7月
昭和22年 5月

昭和25年10月
連合軍最高司令部の覚書により21年1月28日本土と分離された。
21年2月2日いわゆる2.2宣言により、北緯30度線より切り離され沖縄に本部を置く米軍政府下に統治され臨時北部南西諸島の名称が付された。
3月13日北部南西諸島軍政府開設 (初代軍政官 ポール・エフライリー)
米国陸軍政府の統轄監督下に置かれた。
司法権の独立。
奄美群島知事公選。

(3)行政分離から本土復帰まで

   昭和21年1月28日連合軍最高司令部の覚書により本土と行政分離され、21年2月2日に臨時北部南西諸島の名称が付されて以来、28年12月25日本土復帰が実現し、鹿児島県大島支庁が再び設置されるまでの間の沿革は次のとおりである。
 年 月 日         沿              革
明治 8年 6月

明治41年 4月

大正 6年 4月
大正10年 6月
昭和16年12月

在藩所は廃止され鹿児島県大島大支庁が名瀬に置かれ、各離島にはそれぞれ支庁が置かれた。
島興町村制が実施され徳之島は3村を編成した。
亀津村、島尻村、天城村の3村

大正6年4月1日天城村から東天城村が独立
大正10年6月29日島尻村は伊仙村に改称。
昭和16年12月15日亀津村は亀津町に改められた。
1.沿 革

(1)藩政時代までの政治の大要

   奄美史の時代区分は原始からは8・9世紀頃までを「奄美世(あまんゆ)」とよび、階級社会以前の部落共同体の時代である。続いてアジと言う首長たちの支配する階級社会にさしかかるがこれを「アジユ」ト称している。これに続く琉球王朝時代が「那覇世」であり、藩政時代を「大和世(やまとゆ)とよびならわしている。
 大島は1440年前後、喜界島は1464年、徳之島以南はそれ以前に琉球王朝の支配に入った。行政区画としては、徳之島3間切に分けられた
慶長14年(1609)、島津藩の征縄役の結果、大島諸島は琉球から分割されて薩摩藩直属する事になり、慶長18年に代官えお大島に置き明治4年(1871)廃藩置県に至るまで、役160年間封建政治の桎梏下にしん吟しなければならなかった。
この間、元禄以後は砂糖が非常に重要な意義をもち、ことに1746年の「換糖上納」決定以後はさとうきびが主作の地位につき、奄美の社会に重大な影響を与えた。


(2)明治以降戦前(昭和16年)までの行政制度の大要

   明治維新の業成り明治4年に廃藩置県が実施されたが、大島は交通不便なため、しばらく藩政のまま持ち越され、ようやく明治7年の秋4に至って、代官以下の役人は事務を島与人に託して引き上げた。
徳之島歴史探訪