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記念講演をする原口教授=29日、母間小体育館
平成22年6月1日(月)
母間校区振興会設立10周年記念
特別講演 「薩摩侵攻400年にみる母間騒動」
創立10周年を迎えた母間校区振興会(相良 勇会長)の総代会が29日、母間小学校体育館であった。 総会に先立ち、鹿児島大学法文学部の原口 泉教授が「薩摩侵攻400年にみる母間騒動」と題して記念講演を行った。 同教授は日本近世・近代史、特に奄美、沖縄、中国、韓国など東アジア諸地域とのつながりの中で、南九州と薩摩藩の歴史研究に取り組んでいる。 NHK大河ドラマ「飛ぶが如く」「琉球の風」「天璋院篤姫」の時代考証や講演会などを通じて、一般の方々にも歴史や地域の文化を分かりやすく紹介している。
講演のあと、母間校区振興会の総会があり、平成22年度基本方針として「母間正直・郷土愛・伝統文化を大切にし継承していく」など4項目を決め、スローガンとして「むらに新風 きらめく未来 島の発展は母間むらから」を採択した。

【母間騒動概略】
文化7年(1810)麻疹と痢病が相次いで大流行し、島中の死者300余人にも達した。 文化12年には罹病9672人、死者1891人。同じく文化12年11月25日の宗門手札改め(人口調査)で、徳之島の人口1万6千522人となっているから、住民1,7人に1人の罹病その5分の1が死亡している。 母間騒動が起こったのは、恐ろしい疱瘡もようやくやみ、人々が新しい気力を振りしぼって、正業に励みだした文化13年(1816)5月のことである。
発端は、米生産高(検見)が、酷にすぎたからである。母間村掟役の喜久山は薩摩藩の過酷な年貢の取立てに対し、「万一のこと。 わたしが斬られるか、牢込めになるような事があれば、その時はみんな起ちあがってくれ」と言い残し、亀津の代官所へ直訴に出かけた。 喜久山は捕らえられ即刻入獄させられた。 それを知った母間の住民630人は竹槍、斧などを準備して船と徒歩で亀津まで喜久山を助け出しに出かけた。・・・・・・ 牢込めになって半月、手足をしばられ、猿ぐつわをかまされ伸び放題の髪で人相がすっかり変わっていたが、喜久山は無事に救出された。
「薩摩藩圧政物語 ~徳之島前録帳の世界~」 前田長英作から一部転写


                                     鹿児島花徳会の参加者
鹿児島花徳会 総会
鹿児島花徳会(福留克彦会長)の第42回総会が29日、ジェイドガーデンパレスで行われた。 会員22名が参加、総会に引き続き懇親会では、徳田洋広さんの司会でカラオケやビンゴゲーム等で親睦を深めた。
                                       重村二朗 通信員