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基地移設反対の看板=徳之島町母間
平成24年4月24日(火) 
基地移設に揺れた島 ”徳之島” あれから2年
 戦後初の本格的政権交代によって首相の座に就いた当時の首相・鳩山由紀夫は、2010年3月31日,自民党総裁の谷垣貞一と党首討論を行った。 鳩山は政権交代を目前にした時期、普天間飛行場の移転先は「最低でも県外だ」とぶち上げ、そして党首討論では「私は今、その腹案を持ち合わせている所でございます」と大見得を切った。 翌1月27日付の朝日新聞が新たな候補地として「徳之島」が浮上と書き、徳之島は蜂の巣を突いたような騒ぎになって行った。
徳之島案の始点は、静岡1区を選挙地盤とする民主党の牧野聖修衆議院議員であった。 牧野は2009年10月から翌2010年1月にかけて計3回徳之島を訪れている。「島内は潜在的な賛成派が多数だ。政府が決めれば、島は受け入れる」 島の有力者からそんな情報ももたらされたという。 牧野は徳之島移設という「腹案」を作った張本人である。
牧野らが水面下で動いた「徳之島案」が2010年1月27日、報道などによって公となると、約1ヵ月後の3月7日には600人が参加する反対集会が開かれ、続く3月28日に天城町運動公園で開かれた集会は4000人に膨れ上がり、4月18日、亀津新漁港広場での集会では人口の半分以上にあたる1万5千もの島民が集結した。
米軍普天間飛行場移設問題を引き金に鳩山由紀夫首相は政権を交代したが、未だ迷走を続け、徳之島は鳩山総理の強いこだわりで、米軍の一部訓練の移転先として日米共同声明に明記されたままである。
反対運動が沸き起こって2年余りが経った現在、何事もなかったかのような静けさを取り戻し、わずかに残る移設反対の看板だけが当時を物語る。

当「徳之島万華鏡」も、TBSの朝ズバッやマスコミに取り上げられ4月19日の放送直後からアクセスが急上昇、過去最高の一日アクセス数4万7千余りを記録した。


 1万5千人が参加した基地移設反対集会=2010年4月18日、亀津新漁港
 
 
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