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東天城地区戦没者慰霊祭=30日、前川生活館
平成24年12月1日(土)
 恒久平和へ誓い新たに
東天城地区戦没者慰霊祭
 東天城地区遺族会(尚 俊哉会長)主催の平成24年度東天城地区戦没者慰霊祭が30日、花徳・前川生活館で開かれた。 第2次世界大戦などの戦没者240柱の冥福を祈り、恒久平和への誓いを新たにした。 式には遺族ら約30人が参列。 全員で黙とうをした後、高岡秀規町長の式辞に続き大澤章宏町議会議長、尚会長の追悼の辞が述べられた。
4年目の会長を務める尚さんは、「振り返ってみると、戦後65年、国際情勢が変わり日本の国力が劣化して来た。尖閣諸島・竹島・北方領土問題等、独立国家でありながら自国を守る力を持っていない」と語る。 「戦争の悲惨さを後生に伝えていく責務がある」とも。

式辞を述べる高岡町長 黙祷を捧げる参列者


追悼の辞

 平成24年度、東天城地区戦没者慰霊祭に当たり謹んで240柱の御霊に追悼の辞を申し上げます。
 昭和16年12月8日、日本軍の真珠湾奇襲攻撃で始まった太平洋戦争は、破竹の勢いでパプアニューギニアのラバウルやインドネシア半島のビルマ等を占領しましたが昭和17年6月のミッドウエイ海戦で日本軍はアメリカ軍に敗れ、主力艦船9隻のうち4隻を失いました。戦勝状況は連合軍が優位になり3国同盟を結んでいたイタリアが敗れドイツも無条件降伏し、制海権も連合軍に奪われて日本軍は物資の補給を断たれることになりました。
 中国・東南アジア諸民族の共存共栄の新秩序を樹立するという壮大な構想のもとに、国が進めた大東亜戦争を国家の正義の戦いと心から信じ、当時の日本男児として、その使命感に燃え、尊い命を国家に捧げられました。
 寒さ酷しい満州の荒野で、あるいは、焼けつくような南方の地で武器弾薬をはじめ医薬品・食料品不足等、あらゆる困難欠乏に耐えながら戦争は言語に絶するものがあったことと思います。 その皆様方は銃弾に倒れ、あるいは病魔に侵され、いまは国を護る靖国の神となられました。時は移り、世は変わりましても皆様の国を思ったその真心は、いつまでも日本の歴史に燦然と輝き、残るものと確信します。
 さて、戦後67年が過ぎた今日、昭和21年5月3日、ダグラスマッカーサーのGHQの指導と監督の下に、基本的人権の尊重・主権在民・戦争放棄をうたった平和憲法の下私たちは平和で豊かな生活を謳歌しています。
 技術革新が進み、経済が発展し、世界有数の経済大国になり国際的役割・地位・責任も重く厳しくなりました。 3年目の民主党が崩壊し、国際的には環太平洋経済連携協定問題・北方領土問題・尖閣諸島問題等・国内的には東日本大震災関連の問題・豪雨災害等の課題が山積みしていますが、円満に解決されますように見守ってください。
 終わりに、240柱の御霊が我が徳之島の前途をお守りくださいますようにお願い申し上げますとともに心からご冥福をお祈り申し上げ、追悼の辞といたします。
 平成24年11月30日
東天城地区遺族会会長 尚 俊哉 

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