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59年ぶり故郷を訪れた父森山正秀さんの記事が掲載された36年前の地元紙を手にする軍次郎さん
平成25年3月6日(水)
59年ぶり生まれ故郷「徳之島」を訪れた父のルーツを求めて     ~北海道出身の森山さん来島~
 36年前の地元紙を手に、北海道美唄市出身の民衆史家 森山軍次郎さん(69)が訪ねて来た。 同紙には森山さんの父正秀さんの事が紹介されている。 正秀さんは徳之島町花徳出身で、花徳尋常小学校を首席で卒業している。 今回花徳小学校にも立ち寄り当時の学籍簿を入手した。 正秀さんは、幼いころから父親に死別したため、14歳になった大正7年に大望を抱いて台湾に渡り、鉄道員として働いた。
36年前の地元紙は、「ひょっこり ”今浦島” 花徳出身の森山さん59年ぶり墓参で帰る」 という見出しで、次のように紹介している。
 故郷を出たまま音信が途絶えていた人が墓参のため59年ぶりに生まれ故郷の徳之島町花徳を訪れ、再会を喜んでいる。 ”今浦島”は札幌市豊平区岸二条の飲食店組合長 森山正秀さん(当時73歳)。
 6年間、台湾で頑張ったすえ大正13年に意を決して”花の東京”へ。 「何とかして故郷に錦を飾りたい」と昭和初期の東京で職を転々としながら頑張ったが、第二次大戦の昭和15年、北海道美唄炭鉱に徴用され、戦後もそのまま住み着いた。 福島県出身の妻サトさんとの間に三男一女をもうけ、10人の孫に恵まれているが「たとえ故郷に錦は飾れなくても先祖の墓参りくらいは・・・」と思い立ち、妻サトさんや長男の東一さんと共に徳之島町花徳を訪れたもの。 
 59年ぶりに訪れた故郷は山と川の形だけが昔のままで、家並みや道路はもう昔の面影はなかった。 「知っている人も少なく、乾純之助さんに会えたのがうれしかった」と森山さんは”今浦島”の心境を語っていた。
生まれて初めて、しかもただ一人の叔父にめぐり合った大島支庁の森山昭三さん(土木課補佐)は「まったくの奇遇です。風の便りにすら聞かなかった叔父に会えるとは思ってもいなかった」と、亡父とウリ二つの容姿の叔父をもてなしていた。
 父のルーツを探し求めて今回初来島した軍次郎さんは、花徳支所で戸籍などを調べたが、戸籍法の改正で当時のものは廃棄処分されていて調べる術もなく、大切に保管していた資料などから多少の手掛かりをつかむことが出来、花徳三叉路付近に住んでいた事などが分かった。持っていた資料には前、前川区長の尚睦夫さんなどの名前も記されていた。

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