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田袋吉三さん | |
アメリカ軍が撮影したキノコ雲 | 広島 原爆ドーム |
平成25年8月9日(金) | |
原爆投下から68年目 | |
被爆した奄美出身者たち =徳之島在住被爆者24名= | |
1945年8月6日の朝。朝礼を終え仕事場へ向かう途中、田袋吉三さん(徳之島町母間)は、空を見上げた。雲一つない夏の青空が広がっていた。
戦時中、奄美からも徴用や学徒動員または出稼ぎで多くの人々が長崎や広島へ出向き、軍需工場で働いていた。よって、奄美出身者も少なからず被爆したが、その事実は、あまり知られていない。 田袋さんは昭和56年、鹿児島県原爆被爆者福祉協議会徳之島支部を発足させた。その名簿によると、徳之島在住者での被爆者は、24名。奄美全体で148名である。島外在住者と死者を含めれば、この数倍に達するであろう。 |
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榊原洋史 | |
田袋さん(86)は、平成21年秋、農業への功績により黄綬褒章を授与。 現在、(有)母間衛生社会長、徳之島柑橘組合 組合長、徳之島商工会会長、きばらんと会会長などを歴任している。 |