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平成25年11月21日(木)
地方自治の功労者 泰良豊重氏追悼
 地方自治功労者・泰良豊重氏が逝去して半年が経つ(享年89歳)。 生前の同氏は実直で強い信念の持ち主で、小生がUターンした昭和52年ごろから親交があった。 
郷土誌「潮風93号」(水野 修編集主幹)に掲載された泰良翁青年期の体験記録が、追悼記として編集し直され、その小雑誌が手元に届いた。
 戦時下の青年期には義勇隊として酷寒のソ満国境開拓に従事、シベリア抑留などの歴史的な苦難を乗り越えて昭和24年に帰郷。 以降、農業の傍ら徳之島町議八期、その間、議長を務めるなど多くの要職を歴任、地域における産業振興、教育改革などと深くかかわり多くの業績を残した。

俺も行くから君の行け

泰良豊重は、大正14年年(1925)徳之島町井之川で生まれた。 南島のちっぽけな島で生を受けても日本人である限り、彼らの世代は明治来の富国強兵思想にまみれて生きるほかなかった。
「産めよ増やせよ」という国策が国民の合言葉にされていた時代である。その背景には旧満州国の植民地化を推し進める軍部主導政府の強い目論見があったとみるべきであろう。

俺も行くから君も行け
北満州の大平原 広漠千里果てもなく
自由の天地 われを待つ

右手に鍬 左手に銃を握りしめ
進めや進め ウラルを越えて

差し昇る朝日と共に鍬とりて
磨け益荒男大和魂

この政府宣伝文句を鵜呑みにして泰良少年は、昭和15年の春、満州開拓青少年義勇軍に志願した。

=中略=

旅立の日に
 

農家の次男三男は海外(旧満州国)へ送り出し、食糧増産にあたらせるという国策が満州開拓少年義勇軍を生み落とした。15歳から19歳未満の少年たちである。
義勇軍として旅立つ少年らの送別会に井之川村中のひとたちが一重一びんで参加した。

=後略=

水野氏が追悼記で、「20世紀の大半を生き抜いてきた長老の死は、いまだ整理半ばの戦後史を語る上で、記録すべき重要な1ページが目前から削り取られてしまったようで惜しい限りである」と述べているように惜しい人がまた一人、鬼箱に入ってしまった。 ご冥福を祈るばかりである。

 「俺も行くから君も行け」=故泰良豊重翁追悼記= 「潮風」より引用

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