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懐かしい修学旅行の歌を唄う 太利よし子さん安本まさよさん、乾あつ子さん(左から)
平成19年11月17日(土)
97歳衰えぬ記憶力 明治40年修学旅行の歌を暗記 
徳之島町花徳出身で神戸在住の内山ノブさん(97)がこのほど、同町山の安本
マサヨさんなど親戚に、約80年前の記憶をたぐり寄せて書き記した「明治40年
修学旅行の歌」を送ってきた。 早速、マサヨさん、太利よし子さん、乾あつ子さ
んの三人が集まって当時を思い浮かべながら懐かしく歌った。
歌詞は各集落の特徴を捉え、23番まである。16番には「ああ徳州の大都会千
戸に近き亀津村 こよいはここに一泊し村の有様見物せむ」と歌われている。
内山さんは花徳集落の墓地に、私財で水道を引き、住民から喜ばれたりもして
いる。昨年の11月、久しぶりに帰省、前川生活会館で三集落主催の盛大な歓
迎会が開かれた。現在4人の子供と31人の孫に恵まれている。 生まれてこの
方、風邪一つ引いたことがないという。 一昨日電話で健康の秘訣を聞いたとこ
ろ「故郷を忘れず、常に夢を持ち、早寝早起きを心がけること」という返事が返っ
てきた。 ちなみに電話を切ったのが午後8時でこれから寝るところだという。 
 
歓迎会「で十九の春」を熱唱する内山ノブさん(左)
孫などによる歓迎会
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明治40年修学旅行の歌
1.吹く北風に送られて
  弐百にあまる同胞が
  名勝旧跡みてこんと
  いでたつ今日の面白や
6.東西一理にほど近き
  母間はまもなく通りす
  下久志村の銅坑を
  見物せむと勇みたつ
2.花徳の村を後に見て勇む足なみいと早く
  去にし昔の偲ばるる
  里久の浜にぞ着きにける
7.全盛時代に往来の
  人目を引き銅坑をは
  あたり淋しくあれはてて
  見る影もなしあなあわれ
3.五七の年の春までは
  我が学校の所在地ぞ
  夢忘るなよ同胞よ
  山水明媚のこの霊地
8.全島一と呼ばれる
  下久志村の浜に出て
  沖のあたりながむれば
  木の葉と見ゆる漁業船
4.左に見ゆる太平洋
  ながめも飽きぬそのうちに
  早入りかかる母間の村
  道のつじつじにぎはへり
9.一尺進めば二寸引く
  浜路くるしさ忍びつつ
  進めば井之川その次は
  神之嶺にぞつきにける
5.高さ二千二百なる
  井之川岳は南天に
  そびえて高く徳州の
  いを南洋に示すかな 
10.神之嶺には学校あり
   行く先急ぐ途なれど
   校舎ばかりも見て行かむ
   いいざいざきたれんもろともに
.              ..以下省略
福留カツさん(80=花徳)によると当時の修学旅行は、風呂敷に米を包んで肩から
背負って、悪路を裸足で歩いて亀津や伊仙で宿泊しながらまわったという。