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解体が進む「ホテルニューオオタニ徳之島」=徳之島町山 |
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平成20年2月20日(水) | |
解体進む「ホテルニューオオタニ徳之島」 |
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昭和50年代、徳之島観光のシンボル的存在だった「ホテルニューオオタニ徳之島」 の解体工事が昨年末から進められている。 同ホテルは、昭和52年11月、東亜観光ホテルを買収して建てられた(資本金1億 9千万円)客室113、最大収容人員214人の大手リゾートホテルであった。一時期 新婚旅行客等でにぎわっていたが、沖縄の本土復帰で本土と沖縄の谷間になり、観 光客は年々減少の一途をたどった。 昭和56年、離島初の航空機ジェット化で好転 を見込んだが思惑ははずれ、56年末で3億5千万円の累積赤字を見るに至った。 経営不振が続く中で、55年9月労働条件の改善を目指してニューオオタニグループ のホテルでは徳之島が初めての労働組合(田川征男委員長)を結成。 ストを重ねる 等して厳しい交渉が続いた。 労使関係が悪化する中、会社側は「今後、観光客の 飛躍的な伸びがない以上、経営の好転は期待できない」と判断、企業閉鎖の可能 性を示唆。 昭和57年6月7日に閉鎖された。 同ホテルの建設に携わったと言う徳之島町母間の福田明さんは「連合赤軍の浅間 山荘事件をテレビで見ながら、当時はポンプ車が無く手押し車でセメントを運んだ」 と感慨深げに解体現場に見入っていた。 同ホテルは神戸市在住の会社経営者、藤野真男氏(徳之島町花徳出身)が買収。 解体後、一帯から採砂が行われる。 |
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【写真特集】 |
ホテル全景 |
グリル (パンフレットより転写) | 喫茶 (パンフレットより) |
売店(昭和52年頃) | つり橋(昭和53年頃) |
室内案内板 | 東亜観光ホテル時代のパイン箱 |
ホテル前の海水浴場(昭和52年頃) | 入り口の池に立つ裸体像 |
Toa Kanko Hotelのロゴ |
ホテルニューオオタニ徳之島のロゴ |
テレビ案内板(昭和53年頃) | 観光案内版(昭和50年頃) |