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平成20年5月21日(水)         
弥生の使者・皇祖神のなぞに迫る徐福物語 
秋利神線刻画は徐福船団によるもの?
一年一冊の書物作りを人生の目標に、66歳から毎年出版を続けている益田宗児さ
ん(75)=徳之島出身、奈良県生駒郡在住=の「徐福物語」を拝読する機会に恵ま
れた。益田さんはこれまでに「徳之島の昔話」、「邪馬台国は徳之島」、「徳之島特攻
隊物語」、「西郷隆盛と徳之島」など9冊を出版している。
徐福物語のはしがきに「私は想像逞しく日本の古代史、神話の謎解きに挑戦するこ
とにしました。 石器時代から縄文時代の悠久の歴史を持つ日本列島に、突如として
弥生文化、弥生革命と私は考えますが、生活の一大変革をもたらす出来事が起こっ
ています。 この生活革命をもたらして弥生の使者となったのが「徐福」であり、日本
の神話の源流で有るに違いないと確信しています。
徐福船団総勢五千人とも言われています。徐福は始皇帝に「不老長寿の仙薬」を入
手すれば寿命は百歳二百歳と長らえる事が叶うで有ろう。 東方の蓬菜の島(徳之
)には百歳を超えた仙人が多く住んでいると進言したようです。二千年の時を経て
徳之島は現在でも「世界一長寿者」を二人も輩出しております。(略)
中国全土を手に入れて権力の頂点にありながら、始皇帝は徐福の進言をうけいれて
不老不死の願望を叶えんものと決断し、巨万の費用と装備を整えた大船団を東渡させ
たのです。
徳之島には古代船と鯨を描いた「線刻画」がございます。年代測定作業が始まってお
ますが、二千年前のものであると確定されれば、徐福船団がこの島に渡来して描いた
ものに間違いないと断言しても良いのではないかと思います。」と記されている。
また、本文には以下のような事も記されている。徐福等が南西諸島に立ち寄り、残した
であろう史跡「線刻画」は、天城町の秋利神川の辺りに存在し、大きな自然の巨石二
枚に描かれた図柄は「鯨」です。一枚は沖で鯨を銛で仕留めているもの、他の一枚は
仕留めた鯨を曳航しているものです。 鯨一頭を仕留めて、港へ曳航し、村中の人々に
振舞ったのでしょうか。一つのイベントなのか、森の巨石に記念として、又は祭りとして
か、祈りとしてか、巨石に刻んでおります。この「線刻画」も多分に漏れず、年代につい
諸説分かれております。未だに科学的、考古学的に年代測定がなされていません。しか
し、古代に書かれた物であることは確かです。そうしますと、巨石に線刻画を刻むだけの
技術を持ち、鉄器の道具を携えて島へやって来た可能性のある者は消去法で推理し
ても、徐福船団しかありえないのです。徐福船団の中には、瑯
邪台地方の石工がいた
はずです。邪台には当時沢山の石の彫刻、線刻画を残した事実があり、その流れを
受け継いだ芸術家が船団の中に居たことが理解できます。
彼等の仕業である事が立証されれば、徳之島は徐福の渡来地として認知することも叶
います。関係者が一日も早く、この事に注目し、感心をもって年代測定の取り組みが実
現するように念願し期待をしているところです。(略)

益田氏は平成15年、戸森の森の「線刻画」を管理する天城町に確実な年代測定の請
願書を提出、同年、調査に着手することが決定。
同書には、色んな角度から徐福と徳之島の関わりが考察されている。

徐福物語
著者  :益田宗児・三好 誠
発行所:奈良徐福研究所
      Tel  0745-72-6883
定価  :2,000円(送料、税別)
                                            
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徐福物語より転写