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 牧野三佐男氏(当時24歳)が、アメリカンスクールで鳩山邦夫議員婦人のエミリーさん(小3)を教えていた頃

平成21年10月8日(木)
特別寄稿

  元専修大学の同僚で長年の友人鳩山由紀夫総理への期待と想い出

                        国際教育学博士  牧野 三佐男

衆院選で民主党が圧勝し、9月16日に鳩山内閣が誕生した。私が鳩山由紀夫氏に初めて会ったのは1970年、彼が東京大学工学部を卒業、スタンフォード大学へ留学して来た23歳の時で加州住友銀行サンフランシスコ支店長邸での晩餐会に招かれた時であった。たまたま私がF支店長を知っていてカリフォルニア州立大学大学院を卒業し同大学に勤務しながらスタンフォード大学アジア研究学科客員研究員をしていたことから留学してきたばかりの鳩山由紀夫さんにアメリカの大学事情を教えてほしいとのことで紹介されたのである。
鳩山由紀夫さんは、スタンフォード大学大学院博士課程でオペレーションズ=リサーチOR(政府、軍、企業などの複雑な問題を解決するために資料を収集し数理科学的に分析する。)を専攻し博士号を取得したのである。彼の大学院での専門分野からして次々と出てくる難問題を分析・解決し国民の期待に応えられるようリーダーシップをとり民主党のマニフェストを実現してほしい。大学院生の由紀夫さんは、おとなしく、口数が少なく将来、学者の道を進むタイプに見えたが、彼の人生を大きく変えたのは、愛妻・幸夫人との出会いであった。幸夫人は、元宝塚歌劇団で娘役として活躍後、’67年に渡米し、サンフランシスコの日本料理店「蝶蝶」のマネージャ「しんちゃん=愛称」に嫁いだ人妻でレストランを手伝っていた。彼女は当時27歳女性としてもっとも美しい盛りであった。 彼女の仕事は、お客様をテーブルまで案内することがほとんどで由紀夫さんが’70年にお店に食事に行って幸さんに一目ぼれしたことから二人のドラマが展開し人妻であることを知らなかった由紀夫さんは何回か通う内にお互いに好意を持つようになり、しばらく交際の後、幸さんは主人と別居、2年後の73年に離婚、’75年に二人はスタンフォード大学の教会で結婚したのである。二人の結婚前に父鳩山威一郎当時の外務大臣がサンフランシスコを訪問した際、人妻との交際に怒り一時期、日本からの学費の仕送りを止められ、幸さんが観光地フィッシャーマンズ・ワーフの真珠店「カマタパール」で働きこの間由紀夫さんを助け由紀夫さんはよく車で幸さんの送迎をしていた。弟の邦夫議員も結婚する前にエミリーさんとサンフランシスコを訪問、由紀夫さんから「好きな人が居て人妻である」ことを打ち明けられ、「そんなに好きであれば結婚しなさいよ」と邦夫氏から薦められたとの事である。
’76年にスタンフォード大学院を卒業した鳩山由紀夫博士は東京工業大学に勤務の後、専修大学経営学部助教授として赴任、親任教職員歓迎会がホテルニューオータニで開催され新任の教職員が一人一人紹介された後、ステージから降りて教授達に挨拶に回って来た時、突然私の前に立った由紀夫さんは驚いた様子であった。サンフランシスコ以来10年ぶりの再会であった、当時私は専修大学文学部英米文学科教授であった。鳩山先生は経営学部で経営数理学II,経営統計学などを教えることになっていたように思う。何時も会うとサンフランシスコ時代の話になり前述の元加州住友銀行支店長のF氏が一橋大学出身であったことから、鳩山ご夫妻と4名で一ツ橋の如水会館で食事をしながら遅くまで歓談したこともある。86年の衆院選で自民党から出馬して初当選した後、大学に挨拶に来て入試本部の入口で議員バッチをつけた鳩山議員が教職員に言葉をかけていた。私に何かお手伝いするのは有りませんかと聞いてきたので入試期間中でもあったので答案を数えるのを手伝ってもらったことがあります。弟の邦夫議員のエミリー夫人は、彼女がアメリカンスクールの小2年の時、講談社の月刊誌「少女フレンド」にスカウトされ表紙のモデルをしていて、私がアメリカンスクールに勤めていた関係から度々講談社に連れて行き会っていた。邦夫氏がエミリーさんと結婚した経緯はエミリーの姉、高見リサさんが由紀夫、邦夫氏の母親安子さんの実家であるブリジストンの石橋家へ嫁いだ関係から結婚式で邦夫氏がエミリーさんをみそめ交際の後結婚したのである。
 鳩山政権に対する国民の期待は大きくそれに応えるのが鳩山由紀夫氏の責務でありアメリカの一流大学で勉強しアメリカの政治・文化、それに多様化された社会にも精通している彼のリーダーシップに期待する。 元宝塚歌劇娘役でファーストレディとなった幸さんにも主人を助けながらの活躍が期待される。 
 鳩山家の家訓でもある「友愛」精神が反映され「政治は国民のもの」「個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本条件となす」-と掲げている。官僚政治から国民主導の政治と国民生活を重視した政治を行ってほしい。スタンフォード大学時代の同僚元東京大学教授で聖学院大学大学院の松原望教授達と「政治政策、戦略」研究勉強会をやってきた仲間でもあり、これからも機会あるごとに鳩山政権に国民の声を届けて行く勉強会を松原氏と私も継続して行く考えである。

                           (目白大学大学院教授)

                                          大学院生と(現在)
【牧野三佐男氏プロフィール】

徳之島町花徳出身

鹿児島県立大島高校卒業
中央大学経済学部卒業
サンフランシスコ州立大学にて教育学修士号取得
オレゴン大学教育学部博士課程にて国際教育学博士号(Ph.D.)取得

※サンフランシスコ州立大学外国語学部講師(1967~1970)
※関西外国語大学外国語学部英米語学科助教授兼国際交流部次長
  留学生別科を開設、別科部長として広く海外から留学生を受け入れる
  関西外大ハワイ校設立初代Directorを勤める。(1973~1977))
※専修大学文学部英米文学科教授(1977~1991)
※東洋大学国際地域学部教授(1997~2001)
※目白大学経営学部経営学科教授兼国際教育交流センター長(2001~2006)
※目白大学大学院教授(2006~現在)

元兼任講師 早稲田大学商学部、中央大学経済学部、明治大学法学部
         青山学院文学部英米文学科、成城大学法学部

その他現在 九段クリニック理事、日本カンボジア交流協会理事、山田奨学会 理事