天城町ユイの館の中水勝久館長が、昭和20年4月20日米軍撮影の航空写真を使って「陸軍浅間飛行場周辺」の復元作業を手掛けている。 滑走路を中心とした地図上に写真を一枚一枚貼り付け、当時の概要が浮き出て完成も間近である。
同飛行場は、昭和19年6月に完成。長さ1500m、幅62mの滑走路と掩体豪20ヶ所また、補助滑走路や誘導路など、浅間集落のほとんどに当たる約79町歩ほどの敷地であった。昭和19年10月10日には第1回目の空襲があり、格納機など27機が焼失し、中継基地としての機能のみとなった。その後も毎日のように空襲が続き、修復は夜間に行われ、特攻機が飛び立ったのは終戦の年、3月から5月にかけて14回、43機。 現在、徳之島空港の東側に「平和通り」として道路に使用されている。
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