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西犬田布海岸の「岩井塩田跡」
平成24年9月28日(金)
 秘められた結晶物語
岩井正一氏と「当原岩井塩田」  No.2
 潮汲み道の鋭い岩礁を砕き終え、次はいよいよ塩田開設が待っていた。 彼は少しもひるむことなく、約1町歩の塩田を築き上げた。 
 溜まりと溜まりの岩礁をハンマで砕いて溜まりを連結したため、潮水の汲み歩きの苦労も半減した。
 当時一般の人が1日一斗五、六升の塩を炊いていたのに新塩田では二石二十三斗の製塩に成功したと言うから、塩炊きの革命であったと言える。
 
溜まりと溜まりを連結した溝
 塩釜は普通の塩炊き小屋では、角鍋か長鍋一つであったが岩井氏の新式製塩所では四連式で炊いたため、能率は上がった。
 前記のように、犬田布周辺の集落は当原浜で自家用の塩を炊いていたが、岩井塩田の塩が多量に出回るようになると、個人で炊くのは自然にさびれ、やがて物交よって塩を入手する制度に変わっていった。 犬田布は勿論のこと、近隣集落の人達は、塩炊き用の薪や米などと物交をなし、昼夜兼業の重労働から遠ざかることが出来た。
 ここで岩井正一氏について簡単に触れてみると、氏は明治35年犬田布に生まれ、大正12年から昭和12年まで船員生活を送り、近海航路をはじめ遠くはアラスカのアナディル、南は豪州のフリマンドル、その他南の島々にはほとんど寄港した。 昭和14年から終戦までの間、北支に4年、南支の広東、香港、海南島方面を股に活躍したが、戦後は郷里に落着した。
 当時、徳之島の名物の筆頭に数えられ、観光コースにもなっていた「岩井博物館」は、彼本来の趣味が蓄積され、豪華な博物館が出来たものと思われる。 博物館には、約3千余に及ぶ、民具、貨幣、石器、陶器などが陳列され、義宮殿下が来島した折には、彼が採集したタカラガイ160点が献上された。
 現在、彼が収集した陶器などの一部は、伊仙町立歴史民族資料館に寄贈され保管されている。
     
【往時を偲ばせる岩井博物館=戦艦大和記念館 】
   

 正一氏の二女まさよさん(鹿児島在住)によると、昭和21年、香港から引き揚げて来たが仕事もなく、国から海岸の払い下げを受け、長年こつこつと塩を上げる通路を作って居たと言う。 塩が専売特許になったのを期に止め、場所を変えて「ミヤトバル」に観光地を作るのだと、岩を割っていたらしい。

 ミヤトバル  犬田布のましゅ屋
 取材協力:きしたまさよ、岩井伸仁、水本隆太郎、徳永仁(敬称略) 参考文献:徳之島新聞

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